映画

久しぶりの映画館で「武士の一分」を観る。
なかなか悪くなかったと思う。原作に自然なアレンジを加えてふくらませ、2時間の長編に仕上げてある。……が、数十ページの短編よりも優れた作品になってたかというとそうでもなかったり。アニメ化された「蟲師」が原作の世界をそのまま移しとったようだったのはやっぱり奇跡みたいなものなんだなあ。山田監督も巨匠と呼ばれるほどの人なら尚更、自分なりのカラーとか解釈とか入れたいだろうしな、というのはさておき。
原作の端正な主人公は木村拓哉とのフュージョンを果たし、よりくだけた人間くさいキャラになっている。「〜でがんす」と庄内弁で話すのも鄙びた雰囲気を醸し出す。嫁にアホと言い老僕を糞たれジジイと罵り叔母をおしゃべり婆あ呼ばわりしたりと人物像をちょっとスレた感じに変えてきているのは微妙なところだが、お役目が疎ましくてならず、早く隠居して子ども相手の道場を開きたいと夢を語ったりする肉のつけかたは好感がもてた。笹野高史演じる徳平とのかけあいもいい。檀れいさんは声と所作がきれい。
ちょっと残念だったのは加世の蕨たたきが芋がらの煮付けに変わっていたところ。描かれる季節が春から秋に変わっているのでもちろん蕨は使えないんだけど、印象がぜんぜん違う。下級武士の食卓にグルメもないが、いっそうわびしい食卓というか(木村は芋がらをはじめて食べたと特番のインタビューで語っていた)。物語全体の印象もかなり変わってくる。風が青葉の匂いを運んできたりする春と比べて秋はやっぱり寂しさがひしひしと身に沁みる。
山田監督は三村を殺人者にはしなかった。原作ではみごと敵の頚動脈を斬った秘剣についても明確には描かず、武士であるけど生身の男でもある者が筋を通そうとするときの悲壮な姿を、共感と優しさを込めて描いている。現代人にとってより親しみやすい三村になっていると思う。これらのことがラストシーンに及ぼした影響は大きい。私には原作既読なだけにインパクトが薄かったが、館内のあちこちからはすすり泣きの声が漏れていた。