これが創作でないのなら……

作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/770743.html

ネット上でかなり話題になっている。みたところ、(筆者の思惑通りの)ヒステリックな糾弾よりも、破綻した論理と歪んだ感性に呆れている人がほとんどと思う。とにかくつっこみどころ満載の文章であるのは確か。
「生=セックス→出産」という極論を妥当至極な前提として語っている不思議をどう受け止めてよいのか分からない。子孫を残し、愛情をかけて育てる喜びがあるからこそ出産の苦痛にも耐えられるのではないのか? 筆者は避妊手術で卵巣や子宮等を摘出することに強い抵抗感があるようだが、乳房がなんのためにあるのかには目を瞑っているらしい。
実際に子猫の命を奪っているにもかかわらず「人が他の生き物の『生』にちょっかいを出すのは間違っている」云々という文脈も謎だけれど、この文章における「生」はどうやら交尾&出産のことらしいから非常に紛らわしい。「子種を殺すか、できた子を殺すか」――このふたつが等しいかのように述べられているのも凄まじい。これが直木賞作家の生命観、死生観かと思うとそら恐ろしくなる。
「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ」との主張は猫にとって酷な宣告である。「人は神ではない」が、猫および犬は遠い昔に人が側に置くために作り出した、すでに野生の獣ではない動物だ。飼い主に甘えて当然、人間社会に立ち混じって生きるものなのだ。ゆえに現代社会での人のわがままに根ざした行為とは「飼うこと」ではなく「飼育を放棄すること」となろう。猫がこの世にある限り、きちんと面倒をみて生をまっとうさせる責任を人は負っている。
子猫を殺すことが社会的責任をとったことになるなら、これほど非難の嵐が吹き荒れるだろうか。個人的には、その行為で責任を果たしたつもりになるのは自己満足でしかないと思うし、このエッセイは詭弁と言い訳と陶酔に満ちていて共感できない。ホラー作家による創作なのかと思わぬでもないのだが、筆者の作品を読んだことがほとんどないので類推しがたい。
ただ、最後の一文の傲慢さは作家としての底の浅さをうかがわせるものだと思った。「殺しの痛み、悲しみ」を受けるのは筆者ではなく子猫と母猫だろう。加害者が引き受けられる、引き受けきれるものではあるまいに。