読了本・コミックス

家族のそれから (アフタヌーンKC)
『家族のそれから』ひぐちアサ講談社、2001)。
表題作はシガポの過去……ではなくて。急ごしらえの俄か家族が手探りで繋がっていこうとする“ぎこちなさ”が高校生の兄の視点で描かれる。妹メグちゃんが健気で可愛いなあ。これ、メグ視点で描いたらまんま良質の少女漫画になるね。同時収録「ゆくところ」は投稿作でデビュー作? さすがにたどたどしくてレコードの針が飛ぶみたいに話が飛ぶかんじがするんだけど、悪い印象ではない。作中のセリフじゃないが、ひぐちアサを読むと何故か「やさしい気持ちになれる」のだ。「おやこのかえるだよ」ってのは幼い日の小泉なのかな。最初は何の幻覚なのかと思ったが、私はプラスにとりました。

ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC) ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)
『ヤサシイワタシ 全2巻』ひぐちアサ講談社、2001-2002)。
ついに読んじゃった。思っていたより鬱展開ではなかった。コミックスで一気に読めたのと、読む前に“ヒロインのその後”を知ってしまったせいなのかもしれない。鬱展開ってのも萩尾望都の『残酷な神が支配する』ばりのを想像してたし。……そしたら鬱どころか、むしろそこはかとなく「やさしさ」の漂う話だった。言いにくいことや書きにくいことをズバッと表現してるのは確かだが、作者はヤエをいじめようと思ってはいないというか、現実世界での自分の憎しみをこっそりぶつけて憂さをはらすみたいな陰湿さがないというか。かといって弁護するような偽善的な感じでもないし。
たぶんヤエみたいな人はどこにでもいて、誰でも「ああこういうやついるなあ」と思い当たったりもしてて。で、現実がオーバーラップして胸が苦しくなったり動揺や怒りを覚えたりもするのだろうけど、ヤサワタを読んだあとはもうすこし楽に受け止められるようになるんじゃないかな、と思った。先日の「ぱふ」誌のインタビューでちょこっと語られていたヤエの不器用さ、自意識肥大なイタさをまるまる拒絶しなくても、全許容しなくても、介入しなくても傍観者に徹しなくても、不完全で中途半端でもいいや、みたいな。
後半はスミオの存在が前半でのネガティヴな感情もろもろを昇華する。スミオとヤエは物語上、対になっているけども優劣があるわけじゃない(好悪や生き易さ難さは別として)。特に主人公にとってはそうだ。ただスミオは会ったこともないヤエをあるがままにヒロごと受け止めようとしていて、そこには努力も無理もないから、なんだか読んでるほうも「自分もイケるかな」と思えてしまうんじゃないかなあ、と。……それにしてもいろんなことをグルグル考えさせる作品ではある。かなり“好き”だ。