義経

第五話「五条の大橋」。
退屈に感じた前回からしたら思いのほか面白かった。といっても冒頭の五条大橋とうつぼ、静が出てるところ以外はだが。遮那王と弁慶が対峙する五条大橋のシーンは幻想性と伝説性を重んじたのだろうか? で、リアリティを軽んじたのだろうか。あまりのことに笑ってしまった。
遠近感を無視した巨大な満月、人影が隠れるほどのもうもうたる桜吹雪、弁慶の泣き所を打たれて降参はまあいいとして、すわ円月殺法かという構えのあと遮那王の姿が消えてしまうのはなんなのだ。いくら鬼一法眼が陰陽師だからといっても習うのは兵法までにしておいてもらいたい。ここで幻術が使えるのなら今後の戦などでも使えるわけだし、使わなくてはおかしくなってしまう。絶体絶命の窮地も幻術で脱出だ。最後はまさか師匠じこみの幻術で追っ手の目をくらまして大陸に渡ってチンギス・ハーンになるんじゃないでしょうね。
ドラマの中では非常に浮いたものとなってしまったこの逸話、どう処理するつもりなんだろう。八百年から昔の出来事なのだし、伝わっている話が虚実いりみだれているのは当然だ。それを取捨選択しあるいはアレンジしてどう史実に即した、あるいは斬新な解釈をしたリアルなドラマを作るのかが制作者の腕の見せどころなのだと思うのだが、何だか期待はずれな方向に向かっているような。遮那王が槍先に乗れるほど身が軽いというのを表現するにしても、それに合理的な理由が欲しかった。空手の三角飛びみたいに欄干を蹴ってとか、弁慶の槍を奪って棒高跳びの要領で飛んだとか……。
うつぼと静の人の演技は今回はじめて観たが、うーん、ファンの人には申し訳ないが素人芝居か学芸会みたいで気恥ずかしくて直視できない感じ。しゃべり方も好きになれない。美人で声も綺麗な女優さんってなぜこうも少ないのだろう。それから常盤やうつぼ、静の女性性についてつっこんだ描写ができないのなら中途半端に匂わさないほうがいいんじゃないかな。でもオープニングで女性のヌード絵が一瞬うつるくらいだから描く気だけはあるのか?
肝心の遮那王は母や幼友達が“生きるために身を売る”ことをどう思っているのか、嫌悪しているのか蔑んでいるのか憐れんでるのか哀しんでるのか励ましたいのかいたわりたいのか慰めたいのか、もっと複雑なのか。とにかく彼の感情表現は薄いというか平面的というかでちっとも盛り上がらない。笛を落とされて怒ったのかと思えば次の瞬間にはもう穏やかさを取り戻していて、笛への思い入れもちっとも感じられない。単に静とつなげるためのアイテムにしか見えないぞ。
平家のめんめんは結構いい。後白河院もすばらしいと思う。こっちが中心に話が進むほうがいいなあ、画面に華はないかもしれないけど。視線の先に火花の散るのが見えるようだ。太刀が偽物とわかって清盛が怒り狂うくだりは見ものだったが(しかしあの程度で刃こぼれしたり折れたりしますか)、これまでの妙に品が良くて善人っぽい清盛像と違和感があるのがちょっと。最初からこういうアクの強い性格なところを見せればよかったのに。でも予告の頼朝&政子には期待大。ものすごく猛々しそうな政子が大いに楽しみだ。