新選組!

第33回「友の死」。
最初から終わりまで、画面の前で静かに泣き続けた。涙が止まらなかった。何度か目にした本放送前の番宣ですでに胸が痛かったのだが。山南役の堺雅人が出演した金曜深夜の「恋するハニカミ!」を偶然観て、うわあ堺さんて普通のにーさんなんだねえと当たり前のことに驚いたほどに「新選組!」での堺さんは山南敬助そのものだった。凄絶な演技だった。
誰ひとり山南に死んでほしくはないのに、なんで死なせなければならないんだろう。そもそも局中法度を作ったのは土方なのに、なんでいまさら号泣なんかするんだろう。いつかはこんなことが起こる、また起こるすべてを我が身に引き受けるという覚悟も結局はなかったんじゃないか。法度に振り回されて、友を同志を殺してどうすんだ。何だかこのドラマの土方をどんどん好かなくなっていくのをどうしようもない。けっして嫌いにはなれないのだが。
山南さんもなんであんなにも従容として死を恐れず、切腹のときまで乱れることがなかったんだろう。辛い。せつない。そして納得がいかない。彼の死で隊の結束は固まるどころか、これからまさにバラバラになっていくのじゃなかったろうか。幕末における新選組という存在の悲劇性に涙し、醉いもするが、近藤や土方や沖田のコドモっぽさやカタクナさ、視界の狭さに呆れ、幻滅しつつもある。繰り返される小競り合い。派閥争い。独善ばかりがせめぎあう。理想はどこへいったのか。
そういう場に山南のような人が混ざったら、そりゃ疲れてどこか遠くへ身を置きたくもなるだろう。それでも仲間を見捨てず見限らず……だが救いの手は拒絶し死によって永遠に決別した山南。明里は視聴者にとっても救いだったが、山南を生に繋ぎとめておくことはできなかった。温かさと冷たさが矛盾することなく同居し、馴れ合いを拒みつつも憧れていた、そんな不可思議で愛すべき人物だったのではないか山南さんは。
……この話題について考えていると思いのほか熱くなってしまう。実は年季の入った新選組ファンなのだ。薄めだけど。ただ、考えすぎか気の迷いかもしれないが、三谷脚本の笑いや涙の影にひそむ悪意、あるいはシビアな目線にしばしばヒヤッとさせられるのがちょっと気になっている。だからよけいに「新選組!」から目が離せない。