セオデンとエオウィンの絆について[ネタバレ注意]

(3月12日に大幅に書きなおしました)

アンドュリルを得て死者の国へと向かうアラゴルンがエオウィンに言う台詞“It is but a shadow and a thought that you love.” 字幕では「あなたは幻を愛している」となっていたろうか? こんなことを恋愛対象から言われたらさぞかしショックだろう。しかしエオウィンがアラゴルンを一人の男として愛していたのでないことは確かに画面からも推察されるのだ。フラれた悲しみで半ばヤケになって戦に赴いた……にしてはずいぶんとさっぱりした表情だったし。

映画のエオウィンにとってアラゴルンは檻からの救い主であり、また兵を率いて戦うリーダーであり、正当な血筋の王である。彼に憧れ、敬愛し、自らもかくありたいと心を寄せているが、それ以上の深みはないと私は思う。そういう恋の形はあるだろうけれど、さすらい人だった頃から変わらず彼を想いつづけるアルウェンとは違う愛し方だ。アラゴルンに受け入れられなかったことはさほど彼女を傷つけず、後に引きずることもなかったと思われる。むしろ自分の真の気持ちに目を向けさせるきっかけともなったのではないだろうか。

原作のエオウィンはどこか冷たく硬質だ。栄誉を求める気持ちや功名心も強い。だからこそアラゴルンに惹かれ、ひそかに戦にも加わった。しかしこの映画においてそれらの頑なさは影を潜めている。前面に出ているのはむしろセオデンを想う気持ちだ。それは決してあからさまではないが隠されることもない。セオデンがアラゴルンを誉めれば「王も同じくらい立派だ」と答える。武勲をたてたいがためではなく、セオデンを守るために魔王の前に立ちはだかる。

エオウィンがそういう感情を自覚していたかどうかはわからないが、おそらく無自覚だったろう。主君と仰ぎ父とも慕う叔父セオデンを大切に思うのは「当然のこと」なのだから。だが愛するもののために戦うメリーを援護する彼女のつぶやき、“Why can he not fight for those he loves?”は彼女の思いの代弁でもあったと思うのだ。彼女にとっての「愛するもの」とは誰か? その思いの純度をさらに高めたのが、朝日の昇る中で交わした会話だっただろう。セオデンは言った。“Duty? No...I would have you smile again.” 彼もまたエオウィンをある種の“檻”から解放しようとしたのだ。優しさと思いやりによって。

ただしこれも一般的な「恋愛」とは別のものだろう。エオウィンにとってセオデンは「理想の男性像」であったのだと思う。「ファザコン」のような病的なものではなく、いたって素朴で素直な感情の発露として、である。娘として従うのでも妻として甘えるのでもなく女として待つのでもなく、王の傍らで攻め守りたかった、それが映画の「盾持つ乙女」の望みだったのではないだろうか。先のアラゴルンの台詞にあった「幻」は、「英雄としての私は本来の姿ではない」という意味にかさねて、そっと「自分の後ろに見ているのは別の人間では?」とほのめかしているように思えてならない。

映画ではおもに描写の欠落と、それにともなう観客の誤解によってセオドレド→(蛇の舌)→アラゴルン→ファラミアと男たちの間で揺れ動く恋多き女のようにも見えてしまうエオウィン。だが、底流にあったのはずっとセオデンへの想いであり、また成熟した大人の女性としての恋にめざめたのはファラミアがはじめてだと私は思う。いささか唐突に仲睦まじい戴冠式のふたりは微笑ましくて観ているこちらの胸も明るくなるが、ファラミアがどんなふうに彼女を口説き落としたのかは原作とかなり変わってきてしかるべきと思う(まあ同じでも嬉しいけどね)。いまからSEEが待ち遠しくてしかたがない。